台湾の古書では、300年以上前に、台湾の中南部の山地に自生した茶木の葉を、原住民たちが簡単に製茶して飲んでいたとの記載がありました。それが台湾でお茶が飲まれる始まりといわれています。茶木は植物学の分類では、ツバキ科の常緑低木です。ツバキは中国語で「山茶」と呼ばれ、字面からもツバキと茶木との近い関係がわかります。
現在私たちが親しんでいる台湾茶の原種は、200年以上前に、中国の福建省から移植された原木です。台湾北部の木柵・文山地区と中南部の凍頂山一帯は、古くからお茶の産地として有名でした。
台湾は気象と地形などの条件が茶葉の生育に非常に適しており、そのうえ年間平均気温が比較的に高く一年を通して製茶が可能です。台湾茶の歴史は、台湾の歴史とともに変化を遂げてきました。19世紀の清朝の時代では、台湾が欧米への輸出茶の重要な産地として、烏龍茶と包種茶が中心に栽培されていました。その後、日本の植民地に変わってからは、日本政府は台湾の気候がお茶の生産に非常に向いているとして、茶業伝習所と製茶工場を設け、品質改良、製茶法、包装、輸送法など、大規模な製茶体制を確立していきました。その時代にできた製茶システムが、いまの台湾の製茶業の基礎といってもいいでしょう。
第二次世界大戦が終わり、台湾が台湾政府の管轄に入りましたが、お茶は外貨を稼ぐ重要な産業として、70年代の台湾の高度成長に貢献しました。しかし、80年代に入ってから、台湾通貨の値上がりや農業人口の激減で、台湾茶はだんだん海外での競争力を失っていきました。海外市場の縮小とは対照的に、国内では生活レベルの向上にともなって、生活のゆとりをあらわすお茶の消費量が増えていきました。かの有名な「功夫茶」の作法は、この時代の産物で、香りや味わいを一層楽しむために、作法として確立されるようになりました。
